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!犯罪なのに・・・絶えない猫の遺棄!

 

 

日差しの強さとは裏腹に、風が冷たかった今日。

こんな日は、アルプスから流れてくる川はことさら冷たい。

 

19時48分 電話が鳴りました。

折り返したのが 19時56分。

 

「子猫が捨てられました」

 

「近くに親はいませんか?」

と尋ねてみました。親がいれば、育ち具合で保護のタイミングがあります。

 

「いえ、捨てられました」

 

きっぱり言い切る様子にただならぬものを感じ、保温だけをお願いして急行したメンバーが見たのは

 

  ずぶぬれで声も出ない3匹の子猫

 

生後3週ほどの3匹の体は冷たく、何故かぐっしょり濡れていました。

 

「近所の女性が、子猫を川に捨てたのを聞いて、駆け付けました。なんとか自力で岸に上がった3匹を保護して連絡したんです」

 

これ以外にもいたかもしれない。でも、冷たい川と悪意には逆らえず、見つけることはできませんでした。

この世に生まれ、まだ数週間。 

  彼らに罪はありますか?

  猫に生まれただけでこのような目に合うのですか?

  ここまで育てるのに、お母さんは、おっぱいを

  飲ませ、温め、体をきれいにして排せつを促し…

  そして生きるため、育てるために食料を捜し歩く

 

人が想像できないほど、懸命に育てたはずです。

命を削って育てた証がこの子たちです。

 

大きな体と頭脳、力を持つ人間・・・なのに

他の命を簡単につまんで、冷たい川に放り投げる。

 

その人は、どんな表情をしていたのでしょう。

どんな後ろ姿で去っていったのでしょうか。

心根は、自らの子育てにも反映されているはずです。

その考え方で、人を育てました。

思いやり、想像力、十分に伝えることができたでしょうか。

結果は、自らの老後に跳ね返ってくるように思います。

 

  『因果応報』

 

行い、思想は、自分の周りにそれに応じた環境を作っていく・・・

 

その基準を設け明文化したのが、法律でしょうね。

そして、その法律が、

 

「動物の遺棄、虐待は犯罪である」

 

と定義しているのです。

それは、動物だけのためでなく、人の社会のありようを整えるためのもの。

 

昔は・・・そんな言い分をよく聞きます。

昔と今では、人の持つ力の強大さが違います。

猫たちの置かれている環境も違います。

 

都合のいいところだけ、昔、を持ち出すのは卑怯でしょう。

弱い立場のものを一方的に排除したり、いじめるのも卑怯です。

 

かつては『卑怯』というのは最も格好の悪い行為だったと思います。

いまは、あまり聞きませんね。

でも、相手を尊重しない卑劣な行為、を嫌う、これは、人が人であるために重要な項目ですね。

 

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保護宅に到着し、さっそく乾かしてみると、ご覧のかわいらしい兄弟が現れました。

(写真2枚目は保護直後)

 

捜索に協力してくれたワンコの名前が、おはぎ。

そこから、この子たちは、

 

マメ・ダイ・フク

と名付けられていました(*‘ω‘ *)

 

そして、待ち合わせのコンビニで記念に買っておられたのが、豆大福!!

 

豆 ⇒ 元気で

大 ⇒ 大きく

福 ⇒ 幸せに

 

落ち着いたら、ミルクをちゅぱちゅぱ。

でも、頭ばかりが大きくてバランスが悪いその体は、栄養失調そのもの。

 

お母さん猫も心配ですが・・・

 

この子たちは、必ず幸せになります!!

 

改めて

『動物の遺棄、虐待は犯罪です』

 

恐れずに、警察へ届け出をお願いします!